今後のこのブログについて。

どうも、こんにちは。


今後のこのブログについて記事にしたいと思います。


先に結論から言いますと、

一般常識や時事ネタのみを記事にして紹介するといったスタンスをやめようと思います。


また、記事の投稿頻度をとくに決めずにやっていこうと思います。


なので、これからは一般常識や時事ネタのみならず、適当にやっていこうと思います。




改めて、自己紹介です。


私は4月から大学四年生になります。

しかし、留学を理由に一年留年します。なので、大学五年生まで学生をする事になります。ちなみに就活は来年からになります。


今年一年の目標は、

・TOEIC900の獲得

・卒業のための単位獲得

・卒論を仕上げる

・就活の準備を終える

・PCや数字に強くなる

・本を読みまくる

・教養をつける 等です。


なので、今後、就活の準備や日々の勉強、日々の不満など色んな事を記事にできたらいいなとと思います。


どうぞ宜しくお願いします。





イラク戦争とは?

こんにちは。

今日は、イラク戦争についてまとめました。


湾岸戦争時に結ばれた停戦決議では、イラク大量破壊兵器の不保持が義務づけられました。1997年までは大きな混乱はなかったですが、国連の査察団が抜き打ち方式に調査方法を変更した時、イラクは査察に協力的ではなくなり受け入れを拒否しました。

翌1998年に国連の査察活動は停止。
2001年に就任したアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は、就任直後から査察に対するイラクの非協力姿勢を問題します。


そして。2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が発生。航空機を使ったテロ事件で、ハイジャックされた航空機が世界貿易センタービルアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突した。


同時多発テロ事件首謀者とは、ウサマ・ビン・ラディンです。ウサマ・ビン・ラディンサウジアラビア出身のイスラム過激派テロリストでアルカイダ司令官です。


ブッシュ大統領は、イラク、イラン、北朝鮮大量破壊兵器を保有するテロ国家であると名指しで非難し、特にイラクに対しては、政府関連施設などの査察を繰り返し要求しました。

2002年、国連イラク武装解除遵守の最後の機会を与えるとする決議が採択され、イラクは4年ぶりに全面査察に応じました。

2003年、大量破壊兵器の決定的な証拠は発見されていないものの、非常に多くの疑問点があるという中間報告が出され、イラクが提出した申告書に虚偽があるといった内容でした。

このためアメリカとイギリスは、イラクが決議に違反したものとして攻撃の準備を始め、フランスが反対したため、アメリカとイギリスは決議無しでの攻撃に踏み切りました。

まずは先制攻撃となる空爆を行ない、48時間以内にフセイン大統領とその家族がイラク国外に退去するよう命じました。

イラクへの攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中国が反対を表明したが、アメリカはそれを押し切り開戦します。


アメリカの圧倒的な軍事力によって約1ヶ月でイラク全土を占領。
イラク国内に入ったアメリカ軍は大量破壊兵器の捜索を行ったが、大量破壊兵器は発見されませんでした。


これによりイラク国内は混乱し、各地で自爆テロや戦闘が起きます。


アメリカ軍による残党狩りによって2人の息子(ウダイ、クサイ)は共に戦死、サダム・フセインも逮捕されました。

2004年には反米武装勢力とアメリカ軍の間で、占領後初めての大規模な戦闘が発生。ブッシュ大統領イラクの治安悪化を理由として、派兵要員の増強を発表します。

そして、ついに、2006年12月30日、サダム・フセインが処刑されました。



以上で、イラク戦争についての記述を終わりにします。

記述に至らない点があると思いますが、ご了承ください。

今日はこれで失礼します。

アラブの春とは?

こんにちは。

今日は、アラブの春についてまとめました。


アラブの春

アラブの春とは、2011年初頭から中東、北アフリカ地域の各国で本格化した一連の民主化運動のことです。


北アフリカチュニジアで発生した反政府デモに端を発し、中東・北アフリカ諸国に拡大したアラブの春は、長期独裁政権が続いていたチュニジアやエジプトでは大統領が退陣、リビアでは反体制派との武力衝突を経て政権交代が行われるなど、かつてない大規模な政治変動となりました。


それまで、極めて限定的にしか政治参加できなかった一般民衆が変革の原動力となった点が大きな特色で、経済的格差や独裁政権による統制、政治参加の制限などに対する民衆の不満の高まりがその背景にあります。


反政府運動に参加した民衆はツイッターフェイスブックなどのSNSや衛星放送などのメディアによって連帯と情報共有を図っており、かつてないスピードで国境を越えて民主化運動が拡大していきました。


ことの発端となったのは、2010年12月17日、チュニジアの一人の青年が、路上販売に対する当局の取り締まりに抗議して焼身自殺を図った事件でした。その直後から各地で大規模なデモが拡大していきました。そして、一か月も経たない2011年1月14日にベン・アリ大統領は国外逃亡を余儀なくされ、23年間続いた独裁政権は崩ました。チュニジアでは、同年10月、制憲国民議会選挙が実施され、イスラム主義政党エンナハダが第一党となりました。また、同年12月に大統領と首相が選出され、民主化への移行を施政方針とする新政権がスタートしました。


チュニジア民主化デモは国境を越えてかっに普及しめした。エジプトでは、2011年1月15日以降、国内で反体制デモが発生。首都カイロをはじめ、全国各地でデモに参加する市民の数が増え続け、同年2月11日、ムバラク大統領が国軍最高会議ひ権限を委譲し、30年に及ぶ長期独裁政権が崩壊しました。暫定的な軍政がスタートしましたが、その後もデモ隊と軍の衝突が続いています。


以上で、アラブの春についての記述を終わります。説明不十分な箇所や間違いがあるかもしれませんがご了承ください。ところで、今回紹介しきれなかった箇所について、今後の記事で紹介するかもしれませんが、今回はこれで失礼します。

イラン・イラク戦争、湾岸戦争について

こんにちは。
今日はイラン・イラク戦争湾岸戦争について簡単に触れたいと思います。

【イラン・イラク戦争

先ずは、イラン・イラク戦争です。争いの発端は、両国経済を支える石油の輸出の要所で、国境付近を流れるアルヴァンド川の使用権をめぐる衝突でした。この時、米国、欧州、ソ連などは、敵対するイラクのサダムフセイン政権を支援します。1988年に停戦が成立するまで攻防な続きました。


イラン・イラク戦争からわずか2年後の1990年、今度は、イラクがクェートの石油資源をめぐり軍事進行を行い、クェートを制圧しました。しかし、1991年に、米国など多国籍軍イラクを攻撃し、イラク南部とクェートは多国籍軍が制圧し、勝利します。

ウラン濃縮活動と経済】

さらに、2002年以降、イランの核開発疑惑で再び国際社会で注目されるようになりました。イランのアフマディネジャド大統領は、原子力発電などは平和目的での開発と主張し、ウラン濃縮活動を続けるとしてました。しかしながら、米国などは核兵器開発の懸念が払拭できないとしてイランを批判し、国連安全保障理事会は制裁措置などを含む決議を採択しました。そして、2016年1月16日に、国際原子力機関がイランの核開発の履行義務を確認したことを受け、米国、欧州連合、スイス政府がイランの経済制裁を一部解除しました。日本も、同月22日にイランの経済制裁解除を行いました。

以上です。

説明不十分な箇所や間違いがあるかもしれませんが、これで失礼します。

高度経済成長の流れとバブルについて

こんにちは。

今日は、高度経済成長とバブルについてです。


【高度経済成長】

太平洋戦争に敗北した日本でしたが、経済成長のきっかけは思わぬところからやってきました。朝鮮戦争です。1950年、当時のソ連が支援する朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)とアメリカが支援する大韓民国(韓国)の間で戦争が勃発します。

この戦争中、アメリカは戦争に必要な物資を日本に生産させ、大量に購入した為に日本は空前の不景気から抜け出し、復興の足がかりを得ることができました。これを朝鮮特需
といいます。

この朝鮮特需のおかげなどもあり、1950年半ばには、ほぼ戦前の水準まで経済状態を回復しました。その後も神武景気岩戸景気と好景気が続き、池田隼人首相は「10年間でサラリーマンの所得を2倍にする」という所得倍増計画を打ち出します。このスローガンは、東京で開催されたオリンピック景気いざなぎ景気と実現しました。

しかし、この景気
も1973年にオイルショックが起きるといったん頭打ちとなります。このオイルショックとは、中東で起きた第4次中東戦争がきっかけです。ユダヤ人が建国したイスラエルという国をめぐっての戦争でユダヤ人とアラブ人の間で争いが起こるのですが、この時、イスラエルを支援する国には石油を売らない!と中東の石油生産国が石油価格を極端に引き上げたのです。そして、日本でも石油の価格が上昇し、石油が原料であるトイレットペーパーまでもが店から消え、工場なども通常の生産が出来ないと混乱が起きるのです。

これにより、高度経済成長はいったんストップしますが、その後も日本の経済は安定して成長していきます。


【バブルの発生と崩壊】

そして、1980年代後半からバブルがやってきました。
このバブル経済の発生と崩壊は、主な要因としては、土地と株が上げられます。

当時は、土地の価格が高騰。この土地を担保に銀行からお金を借り、また土地を買ったり、株を買ったりするわけです。買うほうも本当に土地が必要だったわけではなく、転売や財テクが目的です。
当時は、株や土地の価格がものすごく上がりました。


しかし、そのバブル経済に待ったをかけたのが日銀
です。日銀が金利を立て続けに引き上げました。日銀の金利が上がれば、そこからお金を借りている銀行の金利も上がります。当然、銀行からお金を借りている皆さんの金利も上がります。

債務者は金利が立て続けに上がり焦ってきます。その結果、土地がいっきに売りに出され、土地を買いたい人よりも売りたい人が多くなり、土地の価格が下落しました。

そのため、貸していたお金が返ってこない銀行がいくつも潰れました。銀行が潰れてしまったり、或いは潰れないまでも危険な状態であると貸し渋りというのが始まります。これで、企業はお金が借りられなくなり、すると、民間の人たちの給料も減り、物が売れなくなり、これでバブルが崩壊しました。

【バブルの要因】
プラザ合意による円高ドル安と日銀の動きがバブル発生の引き金にもなっており、当時の原油の価格下落なども一因です。


以上が、高度経済成長の流れとバブルについてです。


とても簡単にまとめました。説明不十分な箇所や間違いがあると思いますが、これで失礼します。

大統領選挙の仕組みとは?

こんにちは。

今日は、アメリカ選挙の仕組みについてです。


アメリカ大統領選挙は、4年に一度行われる大統領を決める選挙です。大統領候補者を選ぶ『予備選挙』と候補者同士による『本選挙』の2段階です。


アメリカの大統領になるには共和党か民主党のどちらかの党から候補者を指名し、党の代表になる必要があります。その党の候補者を決めるための選挙が予備選挙です。予備選挙は2月〜6月と7月の全国大会にかけて行われます。


各党の候補者が選出されると、それぞれの党の候補者が大統領の座をかけて一騎打ちの選挙を行われます。これを本選挙といいます。本選挙は10月〜11月にかけて行われます。


予備選挙の仕組み】

予備選挙は、有権者が直接候補者を選ぶわけではなく、各党の『代議員』と呼ばれる人の投票によって候補者が決まる間接選挙です。


代議員は、既に投票予定の候補者を決めています。有権者は自分の希望する候補者へ投票する代議員に投票し、代議員は党全国大会で投票します。この予備選挙を全ての州で行い、一番多くの代議員を獲得した人が、党の代表になります。


【本選挙の仕組み】

本選挙も予備選挙と同様に間接選挙です。有権者は特定の大統領候補への投票を約束している選挙人に投票する形で行われます。なので、過半数以上の選挙人を獲得した候補者が大統領になるわけです。


以上が大統領選挙の仕組みです。

とても簡単にまとめました。説明不十分な箇所や間違いがあるとおもいますが、これで失礼します。

自己紹介。

初めまして。

大学3年生のtommy です。


このブログの目的は、

一般常識を身に付けることです。

私が興味関心のあるニュースや一般常識を中心にまとめていきたいと思います。


レベルの低いブログですが、

どうぞ宜しくお願いします。