イラク戦争とは?
こんにちは。
今日は、イラク戦争についてまとめました。
湾岸戦争時に結ばれた停戦決議では、イラクは大量破壊兵器の不保持が義務づけられました。1997年までは大きな混乱はなかったですが、国連の査察団が抜き打ち方式に調査方法を変更した時、イラクは査察に協力的ではなくなり受け入れを拒否しました。
翌1998年に国連の査察活動は停止。
2001年に就任したアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は、就任直後から査察に対するイラクの非協力姿勢を問題します。
そして。2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が発生。航空機を使ったテロ事件で、ハイジャックされた航空機が世界貿易センタービル、アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突した。
米同時多発テロ事件首謀者とは、ウサマ・ビン・ラディンです。ウサマ・ビン・ラディンはサウジアラビア出身のイスラム過激派テロリストでアルカイダの司令官です。
ブッシュ大統領は、イラク、イラン、北朝鮮は大量破壊兵器を保有するテロ国家であると名指しで非難し、特にイラクに対しては、政府関連施設などの査察を繰り返し要求しました。
2002年、国連でイラクに武装解除遵守の最後の機会を与えるとする決議が採択され、イラクは4年ぶりに全面査察に応じました。
2003年、大量破壊兵器の決定的な証拠は発見されていないものの、非常に多くの疑問点があるという中間報告が出され、イラクが提出した申告書に虚偽があるといった内容でした。
このためアメリカとイギリスは、イラクが決議に違反したものとして攻撃の準備を始め、フランスが反対したため、アメリカとイギリスは決議無しでの攻撃に踏み切りました。
まずは先制攻撃となる空爆を行ない、48時間以内にフセイン大統領とその家族がイラク国外に退去するよう命じました。
イラクへの攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中国が反対を表明したが、アメリカはそれを押し切り開戦します。
アメリカの圧倒的な軍事力によって約1ヶ月でイラク全土を占領。
イラク国内に入ったアメリカ軍は大量破壊兵器の捜索を行ったが、大量破壊兵器は発見されませんでした。
これによりイラク国内は混乱し、各地で自爆テロや戦闘が起きます。
アメリカ軍による残党狩りによって2人の息子(ウダイ、クサイ)は共に戦死、サダム・フセインも逮捕されました。
2004年には反米武装勢力とアメリカ軍の間で、占領後初めての大規模な戦闘が発生。ブッシュ大統領はイラクの治安悪化を理由として、派兵要員の増強を発表します。
そして、ついに、2006年12月30日、サダム・フセインが処刑されました。
以上で、イラク戦争についての記述を終わりにします。
記述に至らない点があると思いますが、ご了承ください。
今日はこれで失礼します。