アラブの春とは?

こんにちは。

今日は、アラブの春についてまとめました。


アラブの春

アラブの春とは、2011年初頭から中東、北アフリカ地域の各国で本格化した一連の民主化運動のことです。


北アフリカチュニジアで発生した反政府デモに端を発し、中東・北アフリカ諸国に拡大したアラブの春は、長期独裁政権が続いていたチュニジアやエジプトでは大統領が退陣、リビアでは反体制派との武力衝突を経て政権交代が行われるなど、かつてない大規模な政治変動となりました。


それまで、極めて限定的にしか政治参加できなかった一般民衆が変革の原動力となった点が大きな特色で、経済的格差や独裁政権による統制、政治参加の制限などに対する民衆の不満の高まりがその背景にあります。


反政府運動に参加した民衆はツイッターフェイスブックなどのSNSや衛星放送などのメディアによって連帯と情報共有を図っており、かつてないスピードで国境を越えて民主化運動が拡大していきました。


ことの発端となったのは、2010年12月17日、チュニジアの一人の青年が、路上販売に対する当局の取り締まりに抗議して焼身自殺を図った事件でした。その直後から各地で大規模なデモが拡大していきました。そして、一か月も経たない2011年1月14日にベン・アリ大統領は国外逃亡を余儀なくされ、23年間続いた独裁政権は崩ました。チュニジアでは、同年10月、制憲国民議会選挙が実施され、イスラム主義政党エンナハダが第一党となりました。また、同年12月に大統領と首相が選出され、民主化への移行を施政方針とする新政権がスタートしました。


チュニジア民主化デモは国境を越えてかっに普及しめした。エジプトでは、2011年1月15日以降、国内で反体制デモが発生。首都カイロをはじめ、全国各地でデモに参加する市民の数が増え続け、同年2月11日、ムバラク大統領が国軍最高会議ひ権限を委譲し、30年に及ぶ長期独裁政権が崩壊しました。暫定的な軍政がスタートしましたが、その後もデモ隊と軍の衝突が続いています。


以上で、アラブの春についての記述を終わります。説明不十分な箇所や間違いがあるかもしれませんがご了承ください。ところで、今回紹介しきれなかった箇所について、今後の記事で紹介するかもしれませんが、今回はこれで失礼します。